【あの人115】津谷ふれ 通称津谷ふれ、きっと年下だったのだろう。 当時、小泉海岸やたまいし辺りで波乗りをしていた連中からは「津谷ふれ」と呼ばれていた。 もちろん本名のはずも無く、通称と言うことになる。 宮城県本吉町から少し山間に入った所に「津谷」という地区がある。 津谷に住んでいたから「津谷ふれ」。 後半の「・・ふれ」は何を意味しているのかは、当時から分からなかったけど、あまり気にしたことも無かった。 彼はその津谷地区の自宅から10分か15分掛けて波乗りのポイントまで通っていた。 いわゆるロコサーファーである。 なので、そこそこ上手かった。 そこそこというか、自分よりはずっと上手くて、彼と波を取り合う時にはいつも負けてしまっていた。 肩から腕のパワーが結構あり、それでパドリングの速さが敵わなかったという事だろう。 波の乗ってからも、ポイントで争ったとしても、とうてい勝てない相手ではあった。 それまで車は何に乗っていたか分からないのだが、あるときにトヨタのMR-2という、ミッドシップにエンジンを積んだライトウエイトのスポーツカーに乗り換えた。 その車について何か話したことは無いけれど、当時の波乗り連中の中ではとても珍しかった。 何しろ、その車ではサーフキャリアが積めないので、サーフボードは助手席に積んでサンルーフから飛び出るというスタイルだった。 ちょっと想像してもらえると楽しいのだが、笑えるスタイルである。 何年間かは良く海で一緒になったけれど、自分の勤務スタイルが変わったりしてから会うことも無くなった。 今はもう海から上がっているだろうか。 元気にやっていてくれたら、それでいい。 |