【あの人69】M・Kさん そう言えば、あの人は無事だっただろうか? 仙台の会社で一緒だった先輩である。 当時自宅があったのは、宮城県名取市である。実家は確か造園業だったか工務店だったか、そういう工事関係の仕事をしていると聞いたことがあった。 もうあれからずいぶんと時間は経ってしまったから、引っ越しをしてると言うことは十分に考えられるし、会社が解散してからは別の所に移って仕事をしているのかも知れない。 そして、この3月の震災による大津波から、何とか逃げ延びていて欲しいと思う。 名取市といえば、津波で壊滅的な被害を被りながらも、米軍の援助によって真っ先に復旧することができた「仙台空港」がある所である。 残念ながら今では、当時の関係者に連絡を取れる手段が無い。ただ無事を祈るだけである。 仕事をしている時の彼は、どちらかというと物静かではあったけど、その分いつも冷静に分析をするというタイプであった。 その会社は何人かのチームで現場に出向くことが多かったのだけど、いつもその彼は責任者、いわばプロジェクトリーダー的な存在であった。 自分が初めて入った本格的な現場の塩釜ガスや青森ガスの球形タンクの検査では、彼はもちろんリーダーなのであるが、その仕事は検査部門の工程管理から検査項目の結果管理、依頼主への報告書(もちろん最終的には公共機関へ提出される)、そして現場の検査と渡っていた。 先輩達は誰がどの専門分野というのは無かったのだろうけど、彼はことさら難しい超音波探傷を担当することが多かった。きっと彼の冷静に判断するという正確に適していたのかも知れない。 どうか、生き延びていて欲しい。 |