【あの人50】K・M君 俺から見ると、眩しいぐらいの都会っ子だったなぁ。 彼は専門の時の同級生。年は俺よりも一つ上で、東京の板橋から通学していた。 ちょっと長髪で身長が高く、どことなくべらんめぇな口調だった。 いつの頃から仲が良くなったのか、よく覚えていないのだけれど、車の話しとなると必ず彼がいた。(笑) 彼は卒業して就職したら、ダートを走りたいからということでランタボ(ランサーターボ)を買うと言っていた。ヒール&トゥーを教えてくれたのも彼だし、箱根や筑波、首都高もナビゲートしてくれた。そう言えば、荒川の河川敷でスピンターンを教えてくれたのも彼だったな。(汗) 元々は東京の有名な私立大を目指していたけれど、だめだったので専門に入ることにしたと聞いたことがある。就職先は一流電器メーカーの某レジスタ系の会社で、彼曰く「遊園地じゃねぇからな」と言っていた。順調に行っていればそこの電算室、今で言うシステム部門にいると思うが、「次の就職口を探さなくちゃなぁ」と卒業するときに言っていた。もちろん、彼一流の照れ隠しである。 ある時、彼と筑波周辺のダートサーキットで行われるモトクロスを見に行こうということになった。朝早くが辛いので俺は彼の家に泊まることにした。そこの親御さんに会ったかどうかは覚えていないけど、彼の割と広い部屋で寝たことは覚えている。 壁にはレースのポスターやカーディーラーに展示されている車のダミーナンバープレートが飾ってあった。隣の部屋には彼のお兄さんが住んでると言っていたが、その晩はいたかどうかは分からない。 夜中に小腹がすいたというので、インスタントラーメンを作って食べた。その時、彼はねぎを切ってお湯で煮ながら出汁を取ると言っていたが、そんなことをするんだと妙に感心した。(笑) 次の日、筑波の谷田部辺りに車で行ったのだが、開催場所がどうしても見つけられず筑波山を攻めて帰ってきた。往きは松戸のデニーズで朝飯を食ったこと、帰りの環七がすばらしく込んでいたことが記憶に残っている。 あれ、そういえば初めてのライブハウスPitINにJazzを聴きに連れて行ってくれたのも彼だったぁ。本田俊之がピアノでトリオ編成だったがドラムをつのだひろがたたいていた。 ちょっと緊張してチャージしてウィスキーをロックで飲んだんだったな。(笑) なんだか卒業間際に同じクラスの女の子と付き合うことになって、一緒に学校から帰ったりしていたが、その後はどうなったかなぁ。 ちゃんと真っ当な社会生活を送っているのかなぁ。 |